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福田こうへいが干された理由と裁判~病気から復活までの経緯まとめ

岩手出身の演歌歌手として、全国にたくさんのファンがいることで知られる福田こうへいさんに注目が集まっています。

演歌・歌謡界の“ポスト氷川きよし”とも言われ、大御所北島三郎からは“演歌界の宝だ”という評価も得ています。

年末のNHK紅白歌合戦にも4度の出場を果たしている福田こうへいさんは、名実ともに「現代演歌界のエース」と言えるでしょう。

そんな福田こうへいさんも、過去には事務所とのいざこざで干されて裁判になったり、緊急手術を要する大病を患ったりと、大変な苦労がありました。

この記事では、福田こうへいさんの復活に至るまでの経緯をまとめました。

よくわかる目次

福田こうへいのプロフィールと代表曲

  • 本名:福田 廣平
  • 生年月日:1976年9月21日
  • 出身地:岩手県岩手郡雫石町
  • 血液型:O型
  • 身長157cm
  • 趣味:釣り、山菜取り、ゴルフ

福田こうへいさんの生い立ちについて

地元で有名な民謡歌手だった福田岩月さんを父に、民舞師範のキヌエさんを母に持ちながら、民謡を習い始めたのは意外と遅く、23歳からでした。

父親が民謡歌手だったことで、幼い頃は「お前も歌ってみろ!」と周囲から馬鹿にされたこともあってか、逆に民謡歌手を嫌っていたそうです。

そんな福田こうへいさんの父・岩月さんはかなり厳格な性格だったらしく、何かあれば鉄拳制裁を下す暴力的な一面もあったそうです。

その反動も手伝い、思春期の福田こうへいさんはかなりやんちゃで荒れていたのか、父と顔を合わせるだけで取っ組み合いになる関係に。

残念ながら父親の岩月さんは52歳でこの世を去っていますが、2005年、以前は父が実行委員を務めた民謡大会で優勝したことを皮切りにその後数多くの全国大会を制覇し、民謡の世界では有名人となりました。

そして、12年間営業マンとして勤めた岩手県盛岡市のサンビルにある呉服店「ふじ美苑」を退社し、36歳という遅咲きながら演歌歌手としてデビューを果たしました。

福田こうへいさんの代表曲「南部蝉しぐれ」

福田こうへいさんのデビュー曲である「南部蝉しぐれ」は、オリコンの演歌チャートで1位を飾り、総合チャートでも最高位8位を記録。

この曲が売れたことで2013年の第64回NHK紅白歌合戦に初出場を果たしただけでなく、第55回日本レコード大賞新人賞まで受賞する快挙を成し遂げました。

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福田こうへいが干された理由と裁判に至るまで

“ポスト氷川きよし”とまで言われ演歌界のスターダムを駆けあがっていくさなか、福田こうへいさんに「所属事務所との契約トラブル」が起こります。

オフィシャルブログでは、2013年7月25日の記事で、「誠に申し訳ありません。
しばらくブログはお休みさせていただきます。」とのみ書かれた内容がアップされていたことから、問題が起こったのはこの辺りと思われます。

所属事務所から契約違反を訴えられた経緯

福田こうへいさんは、もともと岩手の事務所「オフィスK」に所属していましたが、ブレークとともに東京に進出。その際、オフィスKの知らないところで東京の事務所と契約を結んでしまった、というもの。

この東京の事務所というのが、おそらく現在のキングレコードなのでしょう。
裁判の原因は、前事務所と福田こうへいさんの、「移籍に伴う残契約期間の認識のずれ」と言われていますが、「二重契約」を行ったとされる福田こうへいさんに対し、オフィスKが提訴。

「当社は福田こうへいの度重なる債務不履行に対して話し合いに応じるように努めてまいりましたが、本人にその意思はないと判断し、法的手続きを開始いたしますことをご報告させていただきます」

という内容のFAXを報道関係各所へ送り、1億円もの損害賠償を求める裁判に発展しました。

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芸能界を干された理由は、“芸能界のドン・バーニング周防社長を怒らせた”せい?

芸能界、ことに歌謡の世界は、昔から反社会的勢力との関係が取り沙汰される世界とも言われています。

かねてより大手芸能事務所「バーニング」の周防社長に気に入られていた福田こうへいさんが、「事務所に対して不義理を働いた」という内容が周防社長の逆鱗に触れたことで、2015年の紅白出場は無くなってしまったそうです。

バーニングの周防社長と言えば、「芸能界のドン(黒幕)」として、表舞台に顔は出さずに、絶大な権力と影響力を持つ、と噂されている人でもあります。

そんな恐ろしい人に目をつけられてしまってはひとたまりもないですよね・・。

また、係争中は新曲の発表もできず、コンサートでは「先輩方の曲を借りていった」と告白されており、2014年~2016年の2年間を振り返って、福浩平さんは「やっぱり長かった。つらい思いもありました」と告白しています。

しかし、この騒動も2016年6月に前事務所が発表した、

「このたび前事務所と福田こうへいとの間で解決に至り、東京地裁に係属していた訴訟は取り下げられて終了しました」

というコメントにて、無事終息を迎え、福田こうへいさんは後顧の憂い無く再び歌手としての活動を再会できたようです。

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福田こうへいが病気で緊急入院した病名とは

2018年11月、福田こうへいさんはコンサートの途中に「大量吐血」したことで緊急搬送されています。

昼夜2公演のコンサートの昼公演後、下血した後に大量に吐血したため、夜の公演を中止し、病院で検査を受けた。正確な病名は不明だが、食道と胃のつなぎ目の亀裂が起きていたといい、医療用のクリップで出血を止める応急処置を受けた。

この病状について、はじめ“食道の接合部が裂けて”とされていましたが、後になって「急性胃粘膜病変にともなう黒色吐物」という病名が明かされました。

原因は胃炎によるものだと判明し、「11月26日から10日間」を治療に専念することで回復したそうですが、「疲労やストレス」が引き金となって起こるものだそうです。

毎年200ステージ以上の公演をこなしているだけに、喉への負担や身体的な疲労も相当なものなのでしょうね。

福田こうへいが干された理由と裁判~病気から復活までの経緯まとめ

以上、福田こうへいさんの生い立ちと、デビューから現在までの間に乗り越えた逆境についてまとめてみました。

若手演歌歌手は“絶滅危惧”とまで言われるほどに人材不足に悩む昨今ですが、演歌ファンにとっては福田こうへいさんの存在は希望であり星のような存在でしょう。

今後の演歌界を引っ張っていく存在となって、さらなる活躍を期待します!

 

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