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長嶋一茂の嫁仁子は性格最低?江角マキコも引退させた敏腕ホステス!

元プロ野球選手、自由奔放で天然毒舌タレントの長嶋一茂さんの嫁・仁子さんは、元銀座「ドルフィン」のホステスで、元一茂さんのマネジャーだった異色の経歴の持ち主。

あの元女優の江角マキコさんが芸能界から引退するきっかけになった「落書き事件」。
その発端が、青山学院で勃発した仁子さんと江角さんの壮絶なママ友戦争の末路だったという話、ご存知ですか?

仁子さんは、ホステス時代から頭の回転の早い気の強い女性だったそうですが、その苛烈な性格はある人によっては“最低”だとも。

いまやテレビで引っ張りだこの長嶋一茂さんの嫁・仁子さんの、ヤバ過ぎる性格エピソードをまとめました。

よくわかる目次

長嶋一茂の嫁・仁子ってどんな人?

長嶋一茂さんの父親は、誰もが知る野球界の英雄「ミスタージャイアンツ」こと長嶋茂雄さん。「野球界のレジェンド」の息子だっただけに、若い頃からプロ野球選手としての将来を日本中から嘱望されていました。

それに反発してか、長嶋一茂さんは小学校時代で野球を一度やめてしまい、田園調布中学校では陸上部に所属。しかし立教高校入学後は再び野球を始め、ブランクを乗り越えて4番打者に、立教大学でも4番打者を務め、やはりその才能は特筆すべきものがあったようです。

しかし、大きすぎる父親の背中、世間の一方的な期待と重圧は凄まじく、プロ入り後に入団したヤクルトスワローズで活躍した1年4ヶ月目にして自身の限界を悟ったそうです。

その後、金銭トレードで読売ジャイアンツへ移籍しましたが、周囲の多すぎる助言と伸び悩む成績のストレスからかノイローゼになり、やがてパニック障害を発症。1996年にプロ野球選手を引退しています。

引退後の長嶋一茂さんは、個人事務所「ナガシマ企画」を設立。芸能界へと転向し、タレント業やスポーツキャスターとして活躍します。

その時のマネージャーが現在の嫁の猪野仁子さん。長嶋一茂さんは、銀座のホステスだった仁子さんと以前から深い付き合いがあり、芸能事務所立ち上げの際に仁子さんを誘ったのではないでしょうか?

長嶋一茂の嫁・仁子は元銀座のホステスだった

長島仁子の画像

引用:google

長嶋仁子さんは鹿児島県出身で、旧姓は「猪野仁子」です。
1966年1月26日生まれの長嶋一茂さんと同い年の1967年12月18日生まれ。

1999年に長嶋一茂さんと結婚し、2004年に双子の娘を授かっています。

仁子さんは地元の高校卒業とともに東京に上京し、「ブークラ」「ドルフィン」といった銀座のクラブで働いていました。

銀座の老舗御三家クラブ「ドルフィン」ではNO.2だったとも言われており、相当なやり手だったことがわかります。

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ルックスだけじゃなく、客とのコミュニケーションや気遣いの達人なのがクラブのTOPの女性。

打算や計算を悟らせない会話の達人だった仁子さんは、長島家の御曹司も心も捕まえてしまうほどそのテクニックはまさしく一流だったようですね。

ただし、当時の関係者によると「酒が強くて気も強い、客あしらいが上手いホステスだった」と語っており、その上噂話好きで時には「話を作ってしまう」癖があったんだとか。

甘えん坊のお坊ちゃん、というイメージがある長嶋一茂さんの話をいちいち受け止めながらも、軽妙な切り返しで手玉に取っていたのかもしれません。

しかしその性格がゆえに、仁子さんはのちに様々な災いを引き寄せてしまうことになります。

長嶋一茂の嫁・仁子の性格が最低?

本来、芸能人のマネージャーが表舞台に立つことはあまりないと思いますが、2014年、仁子さん存在は一躍世間の知るところになりました。

その原因は、「長嶋一茂宅落書き事件」。

一時は昼のワイドショーでも持ち切りになり、「犯人は誰だ」という追及が繰り返し報じられていました。

そして、週刊誌報道によってその犯人が長嶋一家とも親交が特に深かった「江角マキコ夫妻」が線上に浮かび、さらにその原因へと深掘りされていくうちに仁子さんの黒い噂が世間に知れ渡ることになります。

江角マキコが芸能界引退に追い込まれた理由の発端

2017年、女優の江角マキコさんは女優業引退を宣言し、芸能界を去りました。

「女性自身」が報道したところによると、江角マキコは2016年12月に都内のマンションの一室で、男性と2人っきりで6時間以上もこもっていた。しかもその相手の男性は、2016年の8月に布袋寅康やGACKTなど、複数の有名人が出資者に名を連ねた巨額投資詐欺事件に関連して逮捕された人物だという。

江角マキコは過去に詐欺事件の被害に遭っており、密会していた相手はその詐欺事件の関係者だと言われている。

引用:exciteニュース

引退前、江角マキコさんには夫婦不仲や不倫疑惑など、芸能人としては致命的なほどイメージが低下しており、女優としての仕事はほとんど無く、ほとんど開店休業状態でした。

ドラマや映画で主演を張るほど人気があった女優の江角マキコさんの凋落の発端が、上記の「長嶋一茂宅落書き事件」です。

2012年12月31日、長嶋一茂さん一家が旅行で家を空けている隙を狙って、何者かが自宅のガレージや外壁に書かれた「バカ」や「アホ」といった低俗な落書き。

この実行犯が、江角マキコさんのマネージャーだったということが判明。

動機については、「イジメられている江角さんがかわいそうで、自分で勝手にやった」だったり、「10万円の報酬でやらせたのが江角マキコさんだった」という噂も流布され、それが独り歩きしてしまい世間のバッシングは江角マキコさん一点に集中していきました。

しかし、これには仁子さんのある計算高い戦術が大きく関係していたことが後になって判明しています。

江角マキコを追い込んだのは仁子のママ友イジメだった?

付き合いのはじまりは青山学院幼稚園にそれぞれのお子さんが通っていたことから始まったママ友関係。はじめころは、長嶋一茂夫妻と江角マキコさん夫妻は2家族で旅行に行くほど仲が良かったそうです。

それがなぜ仲違いをしてしまったのか。

原因は、江角マキコさんが仁子さんの陰口を他のママ友に話したことが伝わってしまったとされています。

江角マキコさんも業界では気が強くトラブルメイカーと言われていたので、同じく勝ち気な仁子さんとは考え方が合わない場面があったのかもしれません。

ママ友の陰口は時として誇張されて伝わってしまうものですが、この場合、二人の関係を引き裂きたい、あるいは江角マキコさんを陥れたい第3者の存在が合ったのかも知れませんね。

江角マキコさんも仁子さんも自分の子供や立場を守ることに必死だったのでしょうが、根回しの周到さで言えば仁子さんのほうが一枚上手だったのかもしれません。

「江角マキコ叩き」を誘引した仁子の戦略

一説によると、長嶋仁子派閥は、江角マキコ派閥を切り崩し、周囲に江角マキコさんを徹底して無視させ孤立させたり、江角マキコさんの子供たちが進学する際、学校に「江角マキコの存在は学校にとって害悪である」といった旨の上申書を送り、受験妨害まで行ったと報じられています。

正直なところ、ママ友のイジメや陰口というのは根も葉もないところから始まったりするもので、どちらが悪かったのかといえば、「どっちもどっち」だったということは往々にしてあります。

真偽の程も今となってはわかりませんが、一方が悪かった、ということだけは無かったことは間違いないでしょう。

ただ、江角マキコさんはプライバシーが晒されやすい芸能人である反面、仁子さんは芸能事務所の社長であり、一般人という立場。報道に際しても、「長嶋一茂の妻」としか明かされず、世間の攻撃を受けにくい場所に陣取っています。

敵方の組織を崩壊させる諜報活動に、相手の射程圏外から、しかも姿の見えない場所からの遠距離攻撃。織田信長の再来かと思うほど見事な戦術です。

最強の顧問弁護士が参謀として暗躍していた

加えて、顧問弁護士の存在です。

弁護士・弘中惇一郎氏。東京大学法学部出身で、別名「無罪請負人」。

仁子さん側の弁護士だったこの方は、「陸山会事件の小沢一郎」や「ロス疑惑の三浦和義」を無罪にした実績を持つ超一流の弁護士です。あの小沢一郎氏の顧問弁護士も務めていました。

あまりに有名な弁護士なので、報道メディアも追及を諦めてしまうほどだと関係者は語っています。弁護士費用も凄そうですね。

氏の存在があったからこそ、仁子さんの情報は全く世に出ることはなく、江角マキコさんはマスメディアや世間から総攻撃を受け、やがて芸能界引退へと追い込まれるきっかけとなったことは想像に難くありません。

とにかくも、この壮絶な「青学ママ友バトル」は江角マキコさんのお子さんが転校する、という形で決着したようです。その後江角マキコさんは家庭に専念するため芸能界から存在感を消していくとともに、致命的なスキャンダルで引退。真相は未だに闇の中です。

長嶋一茂の嫁・仁子は長嶋家を崩壊させた?

長嶋一家は芸能ファミリーとしても有名ですね。

父親の長嶋英雄さんは先述の通り読売ジャイアンツの終身名誉監督として、病気を患って以来表にこそ出てきませんが、未だにその存在感は確かです。

妹の長島三奈さんはスポーツキャスターとして、現在もテレビやラジオで活動しています。

仁子さんの登場の登場により、妹の三奈さんは「このままでは長嶋家がダメになる」と危惧したという情報がありますが、それはなぜでしょうか。

父・長嶋茂雄とや妹・三奈と一茂の対立の原因は仁子?

長嶋英雄さんは2004年3月に脳梗塞で倒れ、回復まで長い療養期間を要しました。

その後2009年頃、長嶋一茂さんは長嶋家のコレクションを家族の承諾なしに勝手に売却したというのです。仁子さんの指示があった、という話もありますが、それはこじつけかも知れません。
とにかく、売却によって得た利益は数千万に上ったという話もあります。

おまけに、三奈さんが代表を務める「オフィスエヌ」の“長嶋茂雄”の商標登録が切れたところを狙い「長嶋茂雄」という名称を勝手に特許庁に商標登録し、ブランドとして勝手に使用しようとしたことで、家族の確執は悪化の一途に。

長嶋一茂さんは年の半分をハワイで過ごすほどのハワイ好きとして有名ですが、その間も父・英雄さんは肺炎や黄疸で入退院を繰り返しており、その看病は妹の三奈さんがつきっきりで看病・介護をしているそうです。

病院関係者によると、「一茂さんは一度も来たことがない」と言われるほど関係は疎遠になっているようです。

これが全て仁子さんが長嶋家に入ったことが原因か、というとそれはあまりに暴論でしょう。

「もともと長嶋家はバラバラです。僕は中学から家を出ましたし、弟もアメリカに行った。だいたい、弟の所在を知っている人間はいません。妹(長女)にしても、会っても年に1回です。このように基本的にはバラバラなので、もともと家族断絶といってもよいと思います」

引用元:livedoorNews

2015年に長嶋一茂さん自らが家族の印象を聞かれたときのコメントにもあるとおり、長嶋家はもともと家族間の仲が悪かったようです。

妹の三奈さんが一茂さんの結婚式を欠席したのも、そもそも兄妹の不仲が問題だったわけで、必ずしも仁子さんだけに原因があるわけではないようです。

江角マキコさんが引退したバランスをとるかのように長嶋仁子さんの「悪女」説もネット上に溢れてはいますが、当の長嶋夫婦はお互いを「リラックスできる関係」と宣言していますし、紆余曲折を経て独自の家族の絆を築いているのかも知れません。

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