2019年6月にフジテレビの新社長に就任した遠藤龍之介さんは、あの芥川賞受賞作家・遠藤周作さんの長男です。
遠藤周作さんは作家として著名なだけでなく、破天荒な人物としても知られていますが、一人息子の遠藤龍之介さんだから語れる「ぶっとんだ父親エピソード」が凄すぎました。
そんな父親とのエピソードと、遠藤龍之介さんの経歴や学歴についてまとめました。
フジテレビ新社長・遠藤龍之介の経歴や学歴について

いかにも社長っぽいオーラが出てます
- 名前:遠藤龍之介(えんどうりゅうのすけ)
- 生年月日:1956年6月3日
- 出身:東京都
- 職業:フジテレビジョン代表取締役社長、フジ・メディア・ホールディングス取締役、テレビプロデューサー
2019年6月にフジテレビの社長に就任した遠藤龍之介さん。
本当だったらもう少し世間的に騒ぎになったはずですが、当時、雨上がり決死隊の宮迫博之さんやロンドンブーツ1号2号の田村亮さんによる「吉本芸人の闇営業」スキャンダルが世間を賑わせており、それどころじゃなかった、という背景があります。
遠藤龍之介さんという人物を紐解いてみると、その経歴に意外なエピソードが多数眠っていることに驚かされます。
遠藤龍之介の父親は芥川賞作家・遠藤周作

中高年ではファンも多い遠藤周作氏
昭和の大作家・遠藤周作さんの長男として生まれた遠藤龍之介さん。
父・遠藤周作さんは、小説「白い人」で1955年に芥川賞を受賞し、その翌年に龍之介さんが生まれています。息子の名前に「芥川龍之介」の名前をそのまま名付けた由来はここにあるようです。
遠藤周作さんの名著の一つ、カトリック信者の目線で書かれた小説「沈黙」。
江戸時代初期のキリシタン弾圧の中、ポルトガル人宣教師が神の存在と信仰の意義について問うた名著で、累計200万部以上を売り上げています。

父・芥川龍之介の面影が残る故・芥川比呂志氏
加えて、遠藤周作さんは芥川龍之介さんの息子「芥川比呂志」さんと酒を酌み交わす仲でしたが、ことあるごとに自分の龍之介さんと比べ、
「龍之介は本当にダメだ!龍之介はなってない!バカモノだ!」
と苦虫を噛み潰したような顔で息子を非難することもあったんだとか。
偉大な小説家の息子と、自分の息子をつい比べてしまい、やるせない感情を抱いてしまったのでしょうが、ちょっと不憫な気もします。
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遠藤龍之介の学歴について
遠藤龍之介さんの学歴は、「慶応幼稚舎→慶應義塾普通部(中学校)→慶應義塾高等学校→慶應義塾大学」とエスカレーター式で大学まで進学・卒業されています。
遠藤龍之介さんは父・周作さんから「大学受験は、何の役にも立たない。そんなものに貴重な青春時代を浪費するのは愚の骨頂だ」と反対されていたためであり、父・周作さんと母・順子さんも同じく慶應義塾卒でした。
遠藤龍之介は将棋がプロ級にうまかった
高校、大学と将棋部に所属していた遠藤龍之介さんは、そのあまりの強さに「慶大将棋部の強豪」とあだ名されていました。

確かにすごい強そうなオーラある
その強さは本物で、
- 慶大将棋部師範の原田泰夫9段からは「その棋力、立派な態度に感服した」と称賛
- 2003年、将棋士の佐藤康光九段に106手で勝利
- 作家・北杜夫に20回連続で勝利
などなど、将棋の知名度が高まったおかげで、2017年には日本将棋連盟の非常勤理事にも任命されています。
遠藤龍之介は大学時代に女優の檀ふみをフッていた
過去に語られたエピソードで、遠藤龍之介さんは女優の「檀ふみ」さんをフッていた、というエピソードがあります。檀ふみさんとはこの方。
「檀れい」と聞いたらピンと来るかも知れませんが、別人です。
「檀ふみ」さんといえば、「初めて恋をした日に読む話」で深田恭子さんの母親役を演じました。

娘の将来に過保護過ぎる“毒親”は絶賛されていました
美人で清楚な女優として有名な檀ふみさん。歳を重ねた現在も美人ですが・・・

この美人をフッた龍之介さんてある意味すごい
昔もめちゃくちゃ美人でした。
告白したのは檀ふみさんからで、大学1年の頃、「もしお暇でほんとによろしかったら、お声をかけてくれれば、どこへでもついていきます」と遠藤龍之介さんあてにメッセージを送りましたが、なぜか龍之介さんはそれを完全スルーしたとのこと。
その手紙は龍之介さんの父・遠藤周作さんへ宛てたものだったそうですが、「父親が龍之介さんに伝えなかった」か、「単純に恋愛に奥手だったから」とも言われています。
遠藤龍之介の経歴について
遠藤龍之介さんは、幼稚園から慶應義塾に入り、その後フジテレビに入社して以来、ずっとフジテレビの番組制作に携わっています。
プロデューサー時代は、主に「鬼平犯科帳」「銭形平次」「剣客商売」など、長寿シリーズとなった時代劇の編成に携わっていたようです。
歴史や時代劇者の小説とか大好きだったんでしょうね。
その出世の経歴をざっくりまとめると、
1981年 フジ・メディア・ホールディングス入社
2006年 フジ・メディア・ホールディングス広報局長
2007年 フジ・メディア・ホールディングス取締役広報担当兼広報局長
2008年 フジ・メディア・ホールディングス取締役広報室担当
フジテレビジョン取締役
2013年 フジ・メディア・ホールディングス取締役
フジテレビジョン専務取締役
生まれてから現在まで、慶應義塾大学卒業後はフジテレビ一筋のテレビマンという人生ですが、2006年頃からは確実に仕事の幅を広げながら出世街道を突き進んでいたようです。
そして現在は、
- フジテレビジョン代表取締役社長COO
- フジ・メディア・ホールディングス取締役
という事実上経営のTOPに登り詰めています。
しかし、かつての父親・遠藤周作さんを語るエピソードの中で、
「会社の役職にこだわるな。あんなものは数年間,社長でも4~6年会社から貸与される貸衣装みたいなもんだ」
引用:COCONUTS
という金言を授けられたと語っています。その反面、自身の肩書については
「俺は死ぬとき作家として死ぬと思う。つまり俺は英国の仕立てだ」
自らの人生を作家として終えることに誇りを持っていたようですね。時代に左右されず、歴史に名を刻んで生き抜いた偉大な文豪にふさわしい名言だと思います。
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遠藤龍之介と父・遠藤周作の破天荒エピソードが凄い

こうみえて身長183cmもあった遠藤周作氏
作家というと「変わり者」なイメージを持たれる方もいるかもしれませんが、遠藤周作さんに関して言えば「間違いなく変人」と思わせるエピソードが山のようにあります。
息子の目線から語られる大作家の日常がどんなものだったのか、3つご紹介します。
遠藤龍之介と父のエピソード①子供の絵に恐ろしい落書き
子供の頃父・周作さんが持ってきてくれたクレヨンで絵を書いていた龍之介さん。画用紙には、「子供が窓から顔を出している絵」が書かれていました。
そこに父の周作さんがやってきて、赤いクレヨンで炎が燃える絵を描き、「太郎くんの家は燃えてしまい~」と囁いたそうです。
楽しかったお絵かきが一転して「火事で焼け出される子供」の絵に変わってしまったショックで龍之介さんは泣き出してしまったそうですが、一方父の周作さんは「満足した顔で書斎に戻っていった」そうです。
これを「子供心をふみにじった」と捉えるか、「発想の転換で世界は逆転する」という深い含蓄を教えたかった、と捉えるか難しいところですが、何にしても凄まじい教育方法です笑
遠藤龍之介と父のエピソード②クラブに連れて行かれる
「龍之介、キャッチボールするぞ」
と、普段絶対そんな事を言わない父が、子供だった龍之介さんを連れてタクシーで向かった先は、グラウンドではなく「クラブ」でした。いわゆる、女性が隣についてお酒を飲む「大人の社交場」です。
父親なりに社会経験を積ませるために龍之介さんを同伴させたのか、それとも明るい時間からクラブに行く「口実」が欲しかっただけなのかはわかりませんが、
「これはお母さんに言っちゃいけないことだ・・・!」
と子供心に理解していたそうですが、これが一生忘れられない父との思い出になったことは間違いありません。
遠藤龍之介と父のエピソード③催眠術の実験台にされる
龍之介さんが子供の頃は、「怒った父」と「酒に酔った父」が怖かった。
そんなある日、父・周作さんに催眠術の実験台にされた龍之介さん。

昔のテレビはデカくて重い
「お前の身体は鋼鉄のように硬い」と言われ、お腹の上に重たい「テレビ」を乗せられたそうですが、「全然催眠術が効いてない」のがバレないように、「それでも父が上機嫌のほうが良い」と必死になって痛みに堪えたそうです。
当時のテレビは大きく重たい箱。現代なら「DVだ!」と通報されそうなものですが、この破天荒なエピソードの数々は昭和の昔だから許されたことなのかも知れません。
偉大でありながらイタズラ好きな父の元に育った遠藤龍之介さんもまた、テレビに出る際は明るく茶目っ気たっぷりの振る舞いも得意のようです。
遠藤龍之介さんの社長就任によって、視聴率が低迷しているフジテレビを救う救世主となるのでしょうか?今後の展開が楽しみですね。