バレーボール女子日本代表選手のエースアタッカーとして活躍が期待される黒後愛(くろご あい)さん。
笑顔が可愛すぎる!と話題の黒後愛さんですが、以前ミライモンスターでも特集されるほど、その活躍ぶりは中学高校時代から注目を集めていました。
スパイクで相手を骨折させたり、下着丸出し事件があったりと、既に伝説みたいなエピソードだらけの黒子愛さんの中学・高校時代についてご紹介します!
黒後愛のプロフィール
黒後愛さんのプロフィールがこちらです。
名前:黒後愛(くろごあい)
生年月日:1998年6月14日
出身:栃木県宇都宮市
身長:180cm
体重:70kg
利き手:右手
ポジション:ウィングスパイカー
出身中学:栃木県宇都宮市立若松原中学校
出身高校:下北沢成徳高等学校
所属:東レ・アローズ(2017年3月より)
学生時代からバレーボール部のエースとして活躍した黒後愛さん。
出身高校の下北沢成徳高等学校はかつての日本代表のエース・木村沙織さんの出身校でもあり、「第2の木村沙織」としてもその将来を期待されている若き日本のエース候補の一人ですね。
笑顔が可愛すぎる!と人気の黒後愛さんですが、その中学・高校時代のエピソードがぶっ飛んだ内容が多いのも特徴です。
黒後愛の中学は宇都宮市立 若松原中学校
黒後愛さんの出身中学校は宇都宮市立若松原中学校です。
宇都宮大学の教授でバレーボール部の顧問の父親・黒後洋さんと、バレーボール経験者の母親との間に生まれた黒後愛さん。
お姉さんも春高バレーへの出場経験があるバレーボール一家の次女として、小学3年生からバレーを始め、中学校でもバレーボール部に所属していました。
ちなみに小学校時代に所属していたジュニアバレーボールチーム「サンダース」では、黒後愛さんが5年生の時に全国3位の成績を残しています。
黒後愛の中学時代の成績は?
左から2番目、明らかにスケール感の違う高身長の女の子が黒後愛さんです。
黒後愛さんの住んでいた実家は性格にはこの学校の学区ではありませんでしたが、父の黒後洋さんの兄がこの学校のバレーボール部の監督をしていた縁もあって、越境入学しています。
その恵まれた体格から1年生にしてレギュラーの座を勝ち取りましたが、チームとしては関東大会が最高の成績です。
しかし個人成績では栃木選抜や全日本選抜に選ばれており、最優秀選手賞も受賞しています。黒後愛さんの実力は当時から圧倒的に抜きん出ていたようです。
中学校時代のエピソード①スパイクしたら骨折させちゃった
スパイクのブロック練習の時、チームメイトの子は黒後愛さんのスパイクを見て、「他の子とボールの強さが全く違う」と感じていたようです。
そして実際に黒後愛さんのスパイクをブロックしたところ・・・
勢いが強すぎてブロックした選手の小指がポキッとあらぬ方向へ。
本人曰く、「指が飛んでいったかと思った」。
それもそのはず、身長180cm、スパイクの到達点は306cmという打点から放たれるスパイクは、今や世界に通用する破壊力。ハンパじゃないですよね。
それに気づかず黒後愛さんは「あー、ごめーん!」と明るい反応だったようですが・・・折れた指は今も少し曲がったままだそうです。
中学校時代のエピソード②手がつけられない集中力事件
中学時代の監督、叔父の黒後昭さんが語る、黒後愛さんのバレーへの集中力が凄いエピソードの一つに、「下着丸出し事件」があります。
まもなく試合、という状況で黒後愛さんがウインドブレーカーの下を脱いだら、ユニフォームの下を履き忘れていたことに気づかず、そこには下着丸出しで仁王立ちしていた黒後愛さんの姿が・・・。
チームメイトがびっくりしてその場は何とか収めたようですが、当の本人は「あー!わすれちゃったぁ~」とド天然ぶりを発揮したそうです。
「バレーの事を考えたら、バレーだけ。集中した時の愛は手がつけられない」
と監督が語るほど、よくも悪くも常人離れした集中力があるからこそ、日本代表に選ばれる選手にまで成長したことは間違いないんですが、笑って済ませてしまう諦めの良さもまた凄いですね。
中学校時代のエピソード③一人帰宅部でも優勝しちゃう
黒後愛さんが中学2年生のとき、所属するバレー部の部員が5人に減ってしまうという事件がありました。もちろん、6人いなければ試合には参加できません。
そのとき黒後愛さんは、帰宅部だった友人を誘い、即席のチームを結成。そのまま試合に出場し県大会に優勝するという快挙を成し遂げています。
全く未経験の帰宅部はコートの隅っこに立っていてもらい、黒後愛さんが彼女の分まで動き回ってカバーしつつ、相手コートに強力なスパイクを叩き込んでいくという戦法だったんですが、なんか漫画でも読んでる気分になります。
更に凄いのは、そんなギリギリ廃部寸前のバレー部は、黒後愛さんが卒業するまで一度も負けることのない栃木最強のチームだったということ。
個人の力も抜きん出ていましたが、チームをまとめ上げるリーダーシップも当時から優れていたことがわかるエピソードですよね!
[the_ad id=”952″]
黒後愛の高校は下北沢成徳高校
中学校を卒業した黒後愛さんは、栃木から上京し、東京のバレーボールの名門「下北沢成徳高等学校」へスポーツ推薦で入学を果たします。
高校のことはぼんやりとしたイメージだったそうですが、「とにかく強いチームに行きたい」という願いを両親が後押ししたことと、親友の堀江美志さんが誘ったことも大きかったようです。
初めての一人暮らしで当初は自分ひとりで朝起きることもできなかった黒後愛さんですが、寮生活だったので仲間に支えてもらって、一人で起きることができたそう。
たったそれだけのことでルームメイトが感動したそうですから、黒後愛さんはよっぽど朝に弱かったんだと思います。
黒後愛の高校時代の成績は?
高校時代の黒後愛さんは、中学時代と同じく1年生で並み居るライバルを押しのけレギュラーの座を勝ち取っています。
その将来有望な噂から、フジテレビの「ミライ☆モンスター」でも密着されるほどでしたが、入学した当初は練習がきつすぎてついていくのでやっとだったと語っています。
黒後愛さんは高校2年生の時に足首を捻挫する怪我に見舞われ、本人曰く「この時が一番辛かった」と振り返っています。確かにこの高校2年生の頃は、国体やインターハイへの出場を逃しています。
しかしそれを含めても高校時代の成績は輝かしいものです。
2014年 国体に出場し全国3位入賞
2015年 春高バレーベスト8選出
2015年 全日本ユース代表に選出
2015年 第14回世界ユース女子選手権大会でベストサーバー賞受賞
2016年 春高バレー優勝 選手MVPを受賞
2016年 夏のインターハイ優勝 ベスト6選手の中で1位を獲得
2017年 春高バレー 二連覇達成 2年連続のMVP受賞
並べただけでも黒後愛さんがいかに優秀な選手だったかが一目瞭然です。
怪我の挫折を乗り越え見事に全日本選手に選ばれた黒後愛さんは、メンバーを叱咤鼓舞するリーダーシップも持ち合わせており、高校時代もメンバーや監督からの信頼はとても厚かったようです。
高校時代のエピソード①生まれてはじめて風邪を引く
小さい頃から元気が取り柄だった黒後愛さんは、全くと言っていいほど風邪を引かない丈夫な子供だったそう。
それが、高校1年生の春高バレーが終わった直後の朝、ぐったりと具合悪そうにしているところを母親が発見し、試しに熱を測ってみたら39度の高熱。
母曰く、「生まれて初めて風邪をひいたのが高校1年生」だったなんてどれだけ丈夫だったんでしょうか。
そんな中でも、「身体がなまったら困る!」と部屋で筋トレをしてしまう黒後愛さんを見て、姉の黒後彩乃さんは思わず動画撮影してしまったほど。
黒後愛さん曰く、「風邪は気合い」らしいので、きっとそのあとはすぐ治っちゃったんでしょうね笑
高校時代のエピソード②高校時代は嫌われていた?
下北沢成徳高等学校は、バレーボールの名門校。高校2年の春高バレーでも優勝したチームはもはや、「勝つのが当たり前」という空気が漂っていました。
そんな状況で黒後愛さんが選んだ道は、
「わざと「嫌われ役」を買って出て厳しい言葉を投げかける」
というもの。
本来そういった役目はキャプテンがやるものかもしれませんが、小学校~中学校とチームをまとめ上げてきた経験から、チームには“憎まれ役”が必要であることを、黒後愛さんは随分前から学んでいたんですね。
成徳高等学校出身で元女子バレー日本代表の大林素子さんをして、
「とにかく指導力がある。的確に指導する」
と絶賛していた黒後愛さんのリーダーシップを裏付けるエピソードの一つでしょう。