ラグビー日本代表の福岡堅樹選手。日本が史上初のワールドカップベスト8に輝いたのは、通算4トライを決めた福岡堅樹選手を語らずして始まりませんね。
福岡堅樹選手は高校時代、九州の名門・福岡高校を卒業した秀才でありながら、高校ラグビーの憧れの地・花園にも出場していますが、文武両道の道を猛進できたことの背景には恩師の影響が大きかったようです。
そしてラグビー引退後は医者になるために医学部を目指すと語っていますが、その理由とは一体どんなものなのでしょうか?
福岡堅樹の出身高校は福岡高校!(偏差値72)
福岡堅樹選手の出身高校は福岡の名門高校・福岡高校です。
偏差値72という超難関の高校に、福岡堅樹選手は一般受験で一発合格しているあたり、福岡堅樹選手の学力がいかに高かったかが伺い知れます。
2018年度の福岡高校卒業生の進学先をまとめました。
- 東京大学:7名
- 京都大学:5名
- 大阪大学:10名
- 九州大学:91名
- 早稲田大学:19名
- 慶應義塾大学:6名
- 西南学院大学:170名
5歳からラグビーを始めていた福岡堅樹選手は、高校1年生からレギュラーとして活躍しており、高校3年生時には全高校ラガーマンの憧れである「花園」にも出場した実績があります。
中学校時代は陸上部にも掛け持ちで所属しており、100mを11秒7という俊足だっただけに、一度走り出したら誰にも追いつけなかったでしょうね。
ただ、怪我に悩まされたことも多く、高校2年生の時は左膝の「前十字靭帯断裂」の大怪我を負い、高校3年生時には右膝の「靭帯断裂」を経験するなど、必ずしも順風満帆ではなかったそうです。
元々「スピードはあったけどスタミナはウルトラマン並み」と揶揄されたフィジカルの弱さも課題だったこともあり、福岡堅樹選手はハードトレーニングをひたすら重ねることによって、怪我の克服とスタミナの強化を図りました。
高校時代の福岡堅樹が秀才すぎる
福岡堅樹選手は高校3年生の時、クラスの友人とバンドを組み、ギターとして文化祭に出演するなど、クラスの中心となるリーダー的存在だったようです。
小学校時代は書道、水泳、雅楽など多くの習い事をしていた福岡堅樹さんでしたが、3歳の頃から習っていたピアノは中学3年生まで続けており、小学校4年生のときには「九州・山口大会」で最優秀賞を受賞するレベルの腕前でした。
[the_ad id=”952″]
福岡堅樹の出身大学は筑波大学
福岡堅樹選手は、高校卒業後、筑波大学の情報学群情報科学学類(偏差値58)に進学しています。
スポーツ選手なのに体育学群ではないのはなぜ?と思われるかも知れませんが、福岡堅樹選手が元々目指していたのは医学部だったんですね。しかし力及ばず、現役と一浪で2度不合格になっています。
これ以上両親へ経済的な負担を掛けたくないという想いから、「勉強とラグビーどっちを選べば後悔しないか」で悩んだ結果、ラグビーを選び、情報学群への入学を決意したそうです。
浪人時代のブランクはあったにせよ、1年目からレギュラーの座を勝ち取り、その時の大学選手権は見事優勝。
2015年の大学4年生のときには大学選手権で準優勝を勝ち取り、日本が南アフリカに歴史的勝利を飾った「ラグビーワールドカップ2015」の日本代表選手にも選出されるほどの実力を持っていました。
大学卒業後にはパナソニックのワイルドナイツに所属し、ラグビー国際大会でもある「スーパーラグビー」にも出場しています。
福岡堅樹はラグビー引退後は医学部へ進学?
福岡堅樹選手は、2020年の東京オリンピックでラグビーを引退することを表明しています。
ラガーマンの選手生命は平均29歳と極めて短く、1992年9月7日生まれの福岡堅樹選手は、2019年時点で27歳になります。
福岡堅樹選手は幼少期から“医者になりたい”という夢がありました。
それは、医者の過程に生まれた子供だったから、ということと、高校時代に怪我の治療のときに出会った「まえだ整形外科」で出会った整形外科医の前田朗さんの影響が大きかったと思われます。
福岡堅樹の祖父は内科医・父は歯科医
福岡堅樹選手の父親・福岡 綱二郎(ふくおか こうじろう)さんは、福岡県古賀市青柳町にある「福岡歯科医院」を営んでいます。
また、福岡県宗像市東郷にある「崎村医院」の院長・祖父の崎村正広さんは内科医として、現在82歳ですが未だ現役で医学の道を進んでいる医者の家系なんですね。
小さい頃から一度も「医者になれ」とは言わなかった父親の背中を追いかけて、大学は医学部を受験したものの叶わず。
夢だったラグビー選手としての人生が一段落したら、第二の人生として、医学者を目指すことを2016年のテレビ出演の際も語っており、ラグビー選手として挑戦する傍ら、現在も1日1時間の勉強を欠かさないそうです。
高校時代の福岡堅樹を救った医師・前田朗氏
高校時代、福岡堅樹選手が両膝の靭帯断裂で苦しんだことは前述の通りですが、その際に福岡堅樹選手を励まし、人生を導いた存在の一人として、「まえだ整形外科」の前田朗さんの存在があります。
高校3年生時の花園予選の際、右膝の人体が断裂した福岡堅樹選手ですが、怪我が治りきらないうちに試合に出場するという無茶をしています。
テレビの密着取材の際、その時手術を担当した前田朗さんについて、福岡堅樹選手は感謝の念を述べています。
「何事もポジティブに考えさせてくれる先生との出会いで、より医師を目指そうという気持ちが強くなりました。
同時に、怪我をしたからこそ見えたものもあり、花園出場で満足すること無く、大学でもラグビーを続けてみようと」
偏差値72という超難関校で勉強を続けながら、ラグビーでも花園に出場するというのは至難の業ですが、高校時代は師に恵まれたことが、その後の福岡堅樹選手を飛躍させる大きな理由となったことは間違いありません。