『こっちのけんと』本名菅生健人(すごうけんと)さんといえば俳優の菅生正樹さんの弟でもあるアーティストですね。
2024年にリリースした「はいよろこんで」が大ヒットし紅白歌合戦にも出場が決まった彼の生い立ちについてまとめてみました。
生まれ育った環境
菅生健人さんは、大阪府箕面市という自然豊かな街で育ちました。箕面市は、大阪府の北部に位置し、有名な箕面大滝や紅葉の名所として知られています。このような環境で育ったことが、彼の創造性や感性に影響を与えたかもしれませんね。家族構成は以下の通りです。
- 父親:菅生新さん(実業家)
- 母親:菅生好身さん
- 長男:菅田将暉さん(俳優・歌手)
- 次男:菅生健人さん(こっちのけんと)
- 三男:菅田新樹さん(俳優)
こうしてみると息子3人が全員超有名人になるなんて凄まじいですね。
菅生家では、3人兄弟全員が自宅出産だったそうです。今だとかなり珍しいですね。
こっちのけんとこと、健人さんは1996年6月13日に生まれました。5人家族の次男として育ち、幼少期から音楽や芸術に触れる機会が多かったようです。
幼少期から音楽やダンスに興味津々
健人さんは幼少期から「歌うこと」や「踊ること」に興味を示していたようです。
Billboard JAPANのインタビューで、こっちのけんとさんは幼少期の音楽体験について
「二つあって、一つは父が音楽が好きだったこと。家でよくギターの弾き語りをしていました。車の中では知らない音楽がたくさん流れていましたね。」
と答えています。
お父さんの影響が大きかったんですね。
また、こんな受け答えもしていました。
「吉田拓郎さん、小田和正さん、さだまさしさんとか。あとは、習い事のダンスで聴いていた洋楽とか。基本はヒップホップだったんですけど、ダンスの先生がフリースタイルだったので、ポップだったりロックだったりパンキングだったり、いろんなジャンルを教えてもらっていて、そのなかで聴いていた曲もたくさんありました。」
「小学校4年生のときにサッカーを習っていたんですけど、うちのチームのオフェンスが強すぎて、ディフェンスが暇すぎたので、僕がくるくる回って踊っていたらしいんですよ。で、両親が『あの子、サッカーよりダンスとかのほうがいいんじゃないか』と思って、ダンスを習わせてもらって。身体で音楽を体感したり、表現することのきっかけはそれでしたね。」
学生時代はアカペラサークルで頭角を現す
こっちのけんとさんは箕面自由学園高校を卒業後、駒澤大学に進学しています。
大学時代はアカペラサークル「鳴声刺心(めいせいししん)」に入部ています。
サークル内では各々で混成グループを作って活動するスタイルだったそうで、こっちのけんとさんは同級生4人で「ケミカルテット」という男女4声のアカペラグループを組んでいたそう。
ここで既に頭角を現しており、アマチュアアカペラ全国大会の「A cappella Spirits」(アカペラスプリッツ)で2年連続優勝しています。
ケミカルテット時代のけんとさん↓
今とはだいぶ印象が違いますね(笑)
バックコーラスから日本1位までの仕上がり
サークル活動が終わってからもけんとさんはアカペラ活動を続けており、その頃からYoutubeチャンネルも開設したようですね。
チャンネルの初期の方の動画が残っており、当時のがむしゃらに頑張っていたけんとさんの様子がうかがえます。
そのアカペラ活動を続けていくうちに紅白歌合戦RADWIMPSやディズニープラスでのバックコーラスといった大舞台での仕事が舞い込んできます。
その3年後についに自身初の楽曲「Tiny」をリリースしデビュー。
翌年にリリースの「死ぬな!」が総再生1400万回と大ヒット。
その2年後の今年2024年に「はいよろこんで」が”JAPAN Heatseekers Songs”で1位、MVが(2024.6/28〜24/7/4)のYouTubeチャートTOP100で2位に入るといった快挙。
そして紅白歌合戦出場、といったストーリーです。
就職活動と葛藤
大学生活の後半では、音楽活動と並行して就職活動も行っていました。
- 上場企業に内定を獲得し、就職しています。
- しかし、就職後に鬱病と診断されるなど、音楽への思いと社会人としての責任の間で葛藤があったことがうかがえます。
こっちのけんとさんの大学時代は、音楽活動に打ち込みながらも、将来の進路について悩み、試行錯誤を重ねた時期だったと言えるでしょう。アカペラサークルでの活動や全国大会での成功体験が、後の音楽キャリアの基盤となったことは間違いありません。
双極性障害との向き合い方
2023年9月、健人さんは自身が双極性障害(躁うつ病)であることを公表しました。
彼は双極性障害の症状について次のように説明しています。
「躁うつは、テンションが高すぎたり低すぎたりする症状がある病気でして、安定しないんです。どうしても落ち込んだりする」症状を「頼んでも無い時間未指定宅配みたいに急にピンポン押されるもの」と表現しています。
音楽活動への影響
こっちのけんとさんは、双極性障害が彼の音楽活動に大きな影響を与えていると語っています。
- 「死ぬな!」の制作:
- 2022年にうつ病を経験し、この楽曲を制作しました1
- 「うつ病だった自分が音楽によって昇華されたというか。”曲にできた!”という自分のなかの発散が叶った」と述べています。
- 「はいよろこんで」の制作:
- 2024年に躁うつ病(双極性障害)と診断された後、この楽曲を制作しました1
- 「テンションが高すぎているときに、友達からの誘いだったり、お仕事の依頼を『はいよろこんで』と受けていた」ことが、楽曲のインスピレーションになったと語っています。
病気との向き合い方
こっちのけんとさんは、双極性障害を非常に前向きにとらえていて、
- 「それが僕にとってはラッキーなんですよね。楽しい人生を歩めるし、楽曲として曲にできるのはすごく嬉しいです」と語っています
- 「何が何だか分からない毎日を過ごしていますが、何が何だか幸せではあります」とも答えていました。