チャンネル登録者数は170万人を越える超有名YouTuberであるカルマさん。
YouTube以外にも、著書『ここ日本言うてな』の出版やタレント活動での成功など、順風満帆にも見えるカルマさんですが、その生い立ちや家族との思い出がとても過酷なものであったと話題になっています。
しかし彼の過酷な人生は、“母親”と慕うある女優との出会いによって大きく変化します。それはまるでドラマのような素敵なお話でした。
本記事では、そんなカルマさんの生い立ちや“母親”との出会いについて、カルマさんの自叙伝『ここ日本いうてな』を読了した筆者が、感想とともにご紹介していきたいと思います。
カルマの生い立ちと家族が想像以上に過酷でした
カルマさんは純日本人ではありません。祖父が韓国人であり、自身は4分の1韓国の血が入っている「クォーター」ということになります。
しかし、カルマさんはこのことをかなり後になってから知ったそうです。
カルマさんの祖父は、曽祖父に拾われた子供でした。第二次世界大戦中、火消し(消防士)をしていた曽祖父は、たまたま捨て子を見つけると、そのまま放っておくわけにはいかず、我が子として育てることにしました。
しかし曽祖父・曽祖母は、拾い子で、韓国人であることを祖父には伝えなかったため、カルマさんの祖父は自分が日本人であると思ったまま亡くなったのです。
その真実は、曽祖母が亡くなる直前に祖母(祖父の妻)に、祖母が亡くなる直前に母にと伝わり、母からの話を聞いたことで、カルマさんにもその事実が伝わりました。
カルマさんは、複雑な家系に生まれたうえ、それを成長してから知らされることになったのです。
3人兄弟の次男として生まれ、6歳で両親が離婚
カルマさんは福岡県生まれで、3人兄弟の次男として生まれました。
3歳頃までは家族仲睦まじく暮らしていましたが、徐々に両親の仲が悪くなっていき、次第に朝から晩まで、言い争いが絶えなくなっていきます。
その時カルマさんは両親の怒鳴り声の中眠れるはずもなく、24時間つけっぱなしにしているテレビをずっと見ていたそうです。
そのテレビについて、カルマさんは有名になりたいと思うきっかけにもなったとも、唯一、家族と思えるような存在とも表現しています。幼い頃からの苦悩が窺えます。
幼い頃の家庭環境、両親の不和や離婚、突如始まった「お兄さん」との暮らし。虐待を受け、まわりの大人に対する不信感を募らせながら、幼いカルマが考えていたこと。そして、暴走行為をきっかけに送致された少年院での暮らし。
引用:ddnavi
そして6歳の時に両親は離婚を選択し、父親と離れ離れになってしまいます。
カルマさんは「俺が泣いたら、俺たちはかわいそうな家族になってしまう」と、悲しくても泣かないという悲痛な決意をしました。
しかしこれは、カルマさんにとって苦難の始まりに過ぎませんでした。
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母親の“彼氏”にDVを受け、グレた少年時代
父親と離婚した母親は、新しい彼氏と生活をはじめます。
「午前中には父と実家にいたのに、午後にはもう、知らない人との生活がはじまった」と回想しており、すでに交際が始まっていたのだと思われます。
幼い頃の家庭環境、両親の不和や離婚、突如始まった「お兄さん」との暮らし。虐待を受け、まわりの大人に対する不信感を募らせながら、幼いカルマが考えていたこと。
引用:ddnavi
ところが1年も経つと、母親は“お兄さん”と自分のことを呼ばせた彼氏ともうまくいかなくなってしまい、とうとう“彼氏”は母親に夜な夜なDVをするようになっていました。
母を守るために彼氏に立ち向かったカルマさんでしたが、大人には敵わず。彼氏のDVの標的は、母からカルマさんに移ってしまいます。
そして自分を守りたい一心か、母親もカルマさんに手を挙げるようになってしまいました。
2人の大人からのDVを受けるようになったカルマさんは、悲しいことに「相手の気持ちを考える力」を、考えうる最悪の状況下で身につけることができたのでした。
そして皮肉にも他人を喜ばせることに長けていったカルマさんは、学校ではクラスの人気者になります。
たった1年でクラスの女子の半分に告白されるほどモテにモテまくり、学校が唯一の拠り所となっていきました。
一方で「DVを受けているかわいそうな子」になりたくないと、傷跡は絶対に見せない、傷の隠せない顔だけは絶対に殴らせない、友達や先生に家のことは相談しないと、カルマさんは学校という居場所を守り続けるためにDVとひとりで戦い続けます。
壮絶な我慢を続ける学校の人気者生活は、長くは続きません。
母親が彼氏と別れて転居を決めると、同時に転校を余儀なくされます。
カルマさんは唯一の居場所であった学校だけは絶対に転校したくないと反対しますが、願いは届かず。
新しい学校には全く馴染めず、もぬけの殻になってしまったでカルマさんは一転、いじめの対象になってしまいました。
しかし「いじめに屈することは負けを認めるも同然」と、いじめっ子に立ち向かい続けていたカルマさんの根性が、学校の不良グループに知れ渡ることとなり、徐々にそう言う人たちとの付き合いが増え、グレていきます。
学校にも行かなくなり、家にも帰らなくなり、非行も働くようになってしまったカルマさんの生活は、14歳の時には少年院に入るほどになっていました。
しかし少年院から出た直後、カルマさんは運命の出会いを果たします。
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とよた真帆との出会いがカルマの全てを変えた
少年院から出たものの、以前と同様の生活を続けていたカルマさんは、その日も特攻服を着てバイクを乗り回し、街を闊歩していました。
そんななかで道端に倒れているおじさんを見かけると、カルマさんは放っておけなくなり、おじさんを助けにいきます。
グレてしまっても、「相手の気持ちを考える力」は確かに残っていたのです。
そこにたまたま仕事で福岡に来ていたとよた真帆さんが通りかかります。
とよた真帆さんは特攻服の男がおじさんを恐喝していると勘違いし、「あんた!何してるの!」とカルマさんに声をかけたのです。
これがカルマさんの人生の転機になりました。
誤解が解けたところでカルマさんの身を案じたとよた真帆さんは、「家帰ってないの?」「毎日何してんの?」といろんな話をしました。
そして「夢とかないの?」との質問に、カルマさんは無意識のうちに、「俺、有名人になる。」と答えます。
そしてとよた真帆さんは「どうせ学校行ってないんやし、家帰ってないんだったら、ちょ一回東京来てみなよ!」と提案。
保護観察中だったカルマさんは上京を認めてもらうため、通信高校に通いはじめ、アルバイトを始めて真面目に働くようになるなど改心すると、無事上京を果たします。
東京に出てきたカルマさんは、芸能事務所のオーディションを受ける、YouTube活動を始めるなど、幼い頃からの夢であった「有名人になる」ための努力を重ねていきます。
そしてこれらの努力が、現在の活躍につながっていくのでした。
カルマさんは人生を変えてくれたとよた真帆さんには頭が上がらないと話しています。
「血は繋がってないけど実際俺の育ての親みたい」な人と動画内でも語っています。
カルマさんが病気で入院した際には世話を焼いてくれたとよた真帆さんに対し「全然大丈夫だから」と強がる一方、退院後は杖を突きながらでも真っ先にとよた真帆さんに会いにいくなど、本当の母子のような関係性を築いているのです。
お互いのSNSなどからもその親しさが窺えます。
はいラップしまーす。
親子水入らずそして俺はこんな時にもパンツ履いておらず。スクー♪#そろそろ履こうか考えとる pic.twitter.com/d2XoWfv7BN— カルマ【KARUMA】 (@karuma3960) September 7, 2020
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親子関係さえ超えたような2人の信頼関係が見えて、とても素敵ですね!
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まとめ
以上、カルマさんの過酷な生い立ち・家族関係から“母親”とよた真帆さんとの出会いまで見てきました。
ドラマのようなサクセスストーリーのきっかけは、
おじさんのために特攻服のヤンキーを止めに入ったとよた真帆さんの漢気でもあり、
幼い頃から苦しい境遇で培われたカルマさんの優しさだったように思います。
エイベックスに所属して以降、テレビ等多方面での活躍が目立つようになってきたカルマさん。
既にバラエティ番組などで母親と慕うとよた真帆さんとの共演を果たしていますが、いつかドラマなどで親子を演じる姿が見られたらいいですね!