「5時に夢中!」で黒船特派員を務めるイケメンのモデル・俳優・タレントのジョナサン・シガーさんが、「実は英語ペラペラだった!?」という衝撃のカミングアウト!
「アメリカとイタリアのハーフで台湾生まれ、群馬育ち」という多国籍イケメンタレントのジョナサンですが、兄や両親、親戚家族の経歴もワールドワイドな凄い経歴の持ち主揃いでした。
両親の仕事の影響でその生い立ちが意外と悲惨なジョナサンについてまとめてみました!
ジョナサン・シガーの生い立ちが悲惨?
宣教師の父マックスウェルと、母ミシェルの間に生まれたジョナサン。
1980年に結婚した両親は、世界中にキリストの愛を広めるために宣教師として、それまで持っていた家財をすべて寄付して、世界中を放浪する旅に出る・・・
という映画みたいな両親の旅立ちが、ジョナサンの出生の始まりです。
両親は、まだキリスト教の普及が進んでいないアジア圏を中心に熱心に活動し、そのさなか、兄のジェイソンを1982年に香港で、1984年には弟のジョナサンを台湾で授かりました。
その後、「自殺率世界一」と言われる、精神が荒廃した日本の若者をキリストの愛で救うため、来日。
しかし、急激な円高の影響で途端に生活苦に陥り、来日した3か月間は渋谷のラブホテルのオーナーの好意で、彼が経営する「ラブホテル」での生活を余儀なくされます。
しかし母親のミッシェルは全面鏡張りの部屋に興奮と感動隠さず、どん底にあった生活を明るく照らしたそうです。ものは考えようですね。
幼少期には野宿も。ベッドはスーツケースだった
その後一家は長野→仙台→軽井沢→山梨と友人のつてを頼りに転々、最終的に群馬に落ち着きます。
軽井沢では友人の別荘に住むことができ、来日して初めてまともな家での生活を喜んだのもつかの間、夏になると所有者が来てしまうため、一家は再び放浪の旅へ。
当時はお金も無く宿を借りられなかったシガー一家は、野宿して夜を過ごしていました。日本の地方都市で外国人一家が野宿、というのはいくらなんでも目立ちすぎな気もしますが・・・。
その時子供たちはまだ幼く、スーツケースをベビーベッド代わりにして眠ったんだそうです。
シガー夫妻・兄ジェイソンの成長とともに、ついに定職に就くことを決心
そんな放浪生活も、兄ジェイソンが小学校に上がるタイミングで終わりを迎えます。父マックスウェルは神父、母ミッシェルは英語教師として必死に働き、4畳半の部屋を手に入れた一家。
両親の働きによってジョナサンはその後、高崎市立佐野中学校、群馬県立高崎工業高等学校を卒業し、そのずば抜けたルックスを武器にモデルへ。
兄ジェイソンは外資系コンサルタント会社へ就職し、2011年には兄弟力を合わせ、群馬の両親に念願の一軒家をプレゼント。素晴らしい親孝行息子ですよね。
ジョナサン・シガーの兄や両親・家族の経歴が凄い
自身もモデル・俳優として活躍中のジョナサン。
宣教師という仕事柄が交友関係を広げるのか、そもそも両親は両家の生まれで、元来そういった人間関係の中にいたのかはわかりませんが、彼の周囲の人々もまた、とんでもない経歴の持ち主が少なくありません。
兄・ジェイソンは会社経営者
ジョナサンの2つ年上の兄・ジェイソンは、外資系経営コンサルティング会社と日系証券会社を経験したのち、起業して東京都内で会社を経営しています。
左が母のミッシェル、右手前が兄のジェイソンです。兄はこの時、コンサルタントの仕事でたまたまフロリダに来ていたそうで、「たまたま仕事でフロリダってかっこよすぎない?」とコメント。
兄ジェイソンと六本木でメシ。なんか仕事出来る人に見えるね。笑 実際仕事出来るんだろうけどね。笑 pic.twitter.com/XgjMefy8Do
— ジョナサンシガー (@jonathansieger) 2014年4月22日
「兄弟格差がひどい」と自虐しているシガー兄弟ですが、兄ジェイソンとは違った形で、ジョナサンも有名になって欲しいですね。
母の親友はグラミー賞女優ドナ・サマー
ドナ・サマーは、70年代から80年代にかけて、アメリカで「ディスコの女王」と呼ばれ、グラミー賞を5度も受賞した経歴を持つスーパースター。
ジョナサンの母ミッシェルは過去にモデルをやっていた過去もあり、そこで親交を深めたのかもしれません。ドナは、ジョナサンの両親が宣教活動で不在の時、子守やオムツの世話をしてくれたこともあったそうです。
祖母がハリウッド女優、叔父はメジャーリーガー
ジョナサン自身は会ったことが無いそうですが、父方の祖母はかつてフランク・シナトラにも認められたミュージカル女優・ヴァージア・アン・リーです。
当時を伝える写真は見つけられませんでしたが、往年の姿を見ても、気品にあふれ美しい女性だったことが見てとれますね。
また、ジョナサンのおじのケビン・エルスターは元メジャーリーガーで、過去にショートでの連続無失策試合記録保持者のとして球界に12年もの間名を轟かせたそうです。
また、アメリカにものすごい豪邸を持っていたとジョナサンは語っています。
ジョナサンが中学、高校と野球にのめり込んだのは、このおじの影響が大きかったそうですね。
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ジョナサン・シガー、実は英語ペラペラだった
これまでジョナサン・シガーは、「英語の全く喋れないアメリカ人」というキャラクターが愛され、有名になりましたが、実は「英語がペラペラだった」とカミングアウト。
なぜそのようなカミングアウトに至ったのかは明確ではありませんが、兄ジェイソンのツイッターを見れば、ジョナサンが英語が全く話せない、というのはおかしいということに気づいた人もいるのではないでしょうか。
TEMCELL NHI drug price finalized yesterday. CJP has translated the official doc. https://t.co/uLWo5FRG7t
— Jason Sieger (@JasonSieger) 2015年11月19日
Everyone’s in Kansai!! lol Hotels were booked like crazy this wkend! RT @ayaaan: just bumped into a friend from ASIJ here LOLRT
— Jason Sieger (@JasonSieger) 2011年11月26日
スラングバリバリのネイティブ英語がずらずらと。
兄のツイッターでは英語と日本語のツイートが混在しているのに対して、弟は日本語のみ。同じ家庭環境で育ってきて、片方だけ喋れない、というのはちょっと考えにくいですよね。
また、ジョナサン自身、「アピールポイントがなかった。(アメリカ人なのに)英語しゃべれないっていったら面白いと思った」とキャラクターを偽っていたことを告白していて、家族間では英語で会話するのが日常だったようです。
このカミングアウトがジョナサンにとって、吉と出るか凶と出るかはまだわかりませんが・・・大切なアピールポイントを失ったことで、さらに奮起してこれから頑張るジョナサンが今後見られるのかもしれませんね!