世界でも注目を浴びるサッカープレイヤー、久保建英(たけふさ)選手。
スペインの名門サッカーチーム「レアル・マドリード」に移籍後、現在は2019年8月22日、RCDマヨルカへの期限付きの移籍と異例の飛び級を果たしています。
FCバルセロナスクール時代に大会MVPに輝くと、メッシやピケ、イニエスタらも在籍していたFCバルセロナの下部組織カンテラにおいて、リーグ戦得点王の実績を若干12歳で成し遂げた紛れもない天才です。
そんな久保建英選手を創り上げた、父親や母親の育て方についてもやはり気になっている人は多いようなので、久保建英選手の子供の頃の生い立ちから、天才のゆえんとなる両親の教育方針についてまとめてみました。
久保建英の父親・久保建史の仕事や大学について
久保建英選手の父親・久保建史さんは、1971年生まれ、和歌山県出身の会社員。
息子の夢を叶えるべく、「バルサに入る!」と決意した9歳の息子の夢を叶えるべく、弟・そして妻をスペインへ旅立たせ、自身は一人日本に残り家族の生活を支えるべく頑張った、男として、父親としてもチャレンジ精神に満ちた人物です。
久保建英の父親の職業と年収は?
久保建史さんの勤め先の会社はミサワホーム株式会社です。
「総務人事部長 兼 BR働き方改革推進室 担当室長」という役職についているようです。
東証一部上場企業の部長職ですから、年収もかなり高そうです。
営業職ではなく事務職のようなので、営業成績のインセンティブは無いと考えると、久保建史さんの年収は700万~1000万円の間ではないかと思われます。
一般的に見れば高収入の部類に入るかもしれませんが、それでも家族3人を海外生活させるのは経済的にも相当苦しかったのではないでしょうか。
久保建英の父親・久保建史の大学について
久保建史さんの出身大学は、筑波大学体育専門学(偏差値67)です。
- 体育教師を育成するための専門機関として有名
- 各専門分野の先生から質の高い講義を学ぶことができる
- 講義等で学んだ事を活かして、自分で考えながら競技を実践できる環境
出身者にはオリンピックのメダリストやプロアスリートなどが多数いる、いわゆるスポーツエリート育成大学として知名度の高い大学です。
あまりにも多すぎて紹介できませんが、オリンピック・パラリンピック併せて、
- 金メダル 33個
- 銀メダル 38個
- 銅メダル 39個
100個を超えるメダル獲得の実績は国内でも圧倒的な存在です。加えて、クラブチームの監督を努めている方も大勢います。
父・建史さんは、その中でもサッカー部に所属していたので、ただの会社員ではなく「スポーツエリートの教育を受けたサラリーマン」だったわけですね。
父親・久保建史が息子にサッカーを学ばせたきっかけ
長男として生まれた息子に父親として何が教えられるだろう、と考えたとき、元筑波大サッカー部所属だった父親は、「サッカーなら親子一緒に楽しめるかもしれない」と考えたことが、久保建英選手がサッカーを始めるに至ったきっかけです。
ちなみに、父・建史さんはサッカー経験はありますが、サッカー指導者としての経験を積んだのは久保建英選手が3歳になってから。
それでも2歳ころから毎日のように息子とボール遊びを始め、久保建英選手は幼い頃から将来プロサッカー選手になるという夢を持つようになりました。
久保建英選手の並外れたサッカーの技量は、筑波大学体育専門学で培った教育方法を元に、親子二人三脚でプロサッカー選手の目標を叶えるための試行錯誤を積み重ねた結果です。
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久保建英の父親の育て方
父の建史さんは、久保建英選手を育成した教育方法について、2012年に書籍を出版しています。
帯は中村俊輔選手。出版業界からの期待値の高さが伺いしれます。
そこで語られていた父親の、天才を育て上げたエピソードについて紹介していきます。
父親の教育方針①外で遊ぶ時は裸足で
筑波大学で体育学部を専攻していた父の建史さんは、建英さんの子育てを振り返って、
「足裏は健康のバロメーターでもあり、足の感覚を養うには裸足が役に立った」
という言葉を残しています。
また、サッカー強豪国のブラジルの子どもたちは皆、小さい頃から裸足でサッカーをしていることに着目したのでしょう。裸足でサッカーをやることのメリットはすでに研究されていて、
- 足裏の皮膚が角質化して硬くなる
- 指と指の間が広がってグリップ力が強くなる
- 土踏まずが発達するため偏平足にならない
これらの恩恵が期待されているようです。
足裏の感覚やグリップ力の強さは、ドリブルの技術やボールトラップの感覚を鍛える上でも重要な要素ですよね。
野球のピッチャーが手袋を履いてボールを投げても繊細なコントロールを得られないのと同様、指先の感覚を養うためにも、幼少期から裸足でプレーすることは極めて重要だという専門家も少なくありません。
久保建英選手は小さい頃からベビーカーも使わなかったそうで、足の力を鍛えることに2歳の頃から既にトレーニングを始めていたということになりますね。
父親の教育方針②プロになるために必要なことを親子で学ぶ
父の建史さんは、久保建英選手が3歳の頃に、東京都稲城市の坂浜サッカークラブでコーチとして活動を始めています。
そして、「18歳でプロになるために何を身につけるか」を考えた結果、
・基本のドリブルをひたすら練習
・目的や意図を説明できないシュートは禁止
という根本的なところから考えさせ、ボールを運ぶ、止める、といった基本の動作を徹底して叩き込みました。
また、コーチとしては過去の映像や教材などから指導法を学び、「この場合はどうするか」という問題形式にして練習させ、「昨日より少しでもうまくなった点を褒める」コーチングの技術を駆使して息子を練習好きな性格に育てていったことについても触れています。
父親の教育方針③毎日出勤前に必ず子供とボール遊びをする
サラリーマンとして毎日会社に行く前、父の建史さんは毎朝必ず建英さんとボール遊びをしていました。
その頻度は365日中350日という、ほぼ1年間休まずにボールに触れるようにしたそうです。息子任せではなく、父親も一緒に巻き込まれることで日課としていたんですね。
お陰で、久保建英選手は2歳の頃から父と1対1を始めたそうです。
外だけでなく家の中にも常にサッカーボールが置いてあることで、遊びの中にも自然とボールが入ってくるのでしょうね。
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久保建英の母親は専業主婦
久保建英選手の母親は専業主婦です。
ネット上では一時期「母親は東大出身なのでは」という出どころ不明の噂も立っていましたが、子育てに対する考え方や合理的な思考が、そう思わせたのかもしれません。
ワールドカップ行きを祝うセレモニーに、久保建英選手は母親と一緒に出席しており、その時の画像が残っています。
見て分かる通り、美人で優しそうな母親に見えますね!でも、小学生と3歳時の息子二人を連れて見知らぬスペインの地で生活することを決意した勇気と行動力は、並大抵ではないと思います。
久保建英の母親の育て方
さて、ここまで父親の建史さんの教育法についてご紹介しましたが、久保建英選手は母親も教育熱心な方だったようです。
特に、息子が9歳からは異国の地スペインで、大黒柱の建史さんがいない中で家族を支えてきたこともあり、一切の手抜き無しで必死に毎日を過ごしていたことでしょう。
そんな母親の教育方法についてご紹介します。
母親の教育方針①絵本の読み聞かせ
建史さんは書籍の中で、
「分からない時は止まって考え、考えて話す習慣をつけてほしい。本はこれに役立ち、ひいてはサッカーで練習目的やプレー選択を理解する力が磨かれた」
と、幼い頃からの読書の重要性を説いています。
これを担当したのは母親で、週20冊以上の読み聞かせを欠かさず行ったそうです。その御蔭で、久保家には現在絵本が400冊以上あるそうで、久保建英選手は現在も読書を好んでするそうです。
日本はもちろん、海外の選手とのプレーに対するコミュニケーションは思考力や思考を言語化する能力が不可欠ですが、久保建英選手は幼い頃から「わからないことはすぐ聞く」子供だったのも、読み聞かせが大きく関与していると思われます。
また、久保建英選手のインタビュー動画を見ていて感じるのは、「え~」とか「あのー」といった言いよどみが一切ないこと。
これは日本語に限らずスペイン語でのインタビューに関しても同様で、思考を整理する能力が長けていることの証左でしょう。
母親の教育方針②長男だけど次男として育てる?
ぱっと見ると意味不明ですが、長男として生まれた建英さんを育てるにあたって、夫婦は長男として育てることのメリット・デメリットについて考えていたようです。
長男は周りをみて、すぐに行動できないところがある。
優しさもあるが自分の気持ちをストレートに表現できない。
あくまでも仮説を立てて実践したのでしょうが、チームプレイであるサッカーを行うに当たり、社交性や協調性が必要不可欠だと判断した、両親の目の付け所がすごいですね。
初めての子育てで多くは厳しくしつけられてしまう長男は、「お兄ちゃんなんだから」と頭ごなしに否定されたり、そのせいでプライドが高く人に相談しにくいといった傾向があると言われていますが(もちろん個人差があります)、
この検証は結果的に、久保建英選手のコミュニケーション能力の高さや視野の広さ、成長速度全てに寄与したと考えることができるでしょう。
父親は長男、母親は次女という前提条件から、夫婦は二人の幼少期からの特性をしっかり話し合って決めたであろうことも想像できるエピソードです。
母親の教育方針③家の居心地を悪くした
久保家には、子供が家に閉じこもらない厳しいルールがありました。
- テレビを付けない
- ゲームはやらせない
- おもちゃも買い与えない
久保建英選手の母親は、テレビよりは読書や読み聞かせ、そしてそれよりも「外で遊んでおいで」と、久保建英選手が家にいてもやることのない環境を作っていました。
簡単そうに見えてとても難しい課題ですが、これだけ厳しいハウスルールを敷いていながら、それでも家族間の関係が良好な点に、久保家の凄さがあるような気がしてなりません。
また、子供の自主性を鍛えるために、2歳で自主保育グループに通わせたり、幼い頃から友達の家に一人でお泊りさせて家以外の環境に慣れさせるようにしたことも、海外移住の際に大いに役に立ったことでしょう。
未来を見据えて幼い頃から目的を持って子育てを徹底し、家族一丸となって子供の夢を叶えるために全力を尽くした両親がいたからこそ、久保建英選手のような世界で活躍するスタープレイヤーが誕生したのですね。