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吉田羊の若い頃写真が可愛い?中学~大学時代やデビュー時からまとめ

吉田羊さんは、本名や年齢非公開の謎めいた女優でしたが、最近では1974年2月3日生まれで本名は「吉田羊右子」ということが明らかになりました。

年齢を感じさせないほどキレイで、2016年には「タレントCM起用社数ランキング」で1位に輝き、その勢いはまだまだ留まるところを知りません。

そんな吉田羊さんの中学や高校、大学時代からデビュー時まで若い頃の写真をまとめました。

よくわかる目次

吉田羊の若い頃 中学校は久留米市立諏訪中学校

久留米信愛女学院

吉田養さんの両親は父・母ともに日本人です。「吉田羊」という特徴的な名前から「中国とのハーフでは」という噂も一時期経ちましたが、本名は「吉田羊右子」といいます。

父親が久留米市でカトリック系の牧師を務めていたこともあり、キリスト教における「善のイメージ」である“羊”の文字を、「娘が誰からも愛されるように」「正しい子に育つように」と願いを込めて名付けたという由来があるようです。

吉田羊の中学時代の画像①一人遊びが得意な根暗女子だった

吉田羊の中学時代画像

吉田羊さんは小学校の頃から芝居に興味があり、中学1年の頃まで「一人芝居」というものを趣味で行っていました。

一人芝居の内容としては、「1人の男子を取り合う2人の女子」という設定をトイレの中などで繰り広げていたそうです。

また、歌を歌うことも好きで、松田聖子さんや中森明菜さんのモノマネをしては大人に褒められるのを得意としていたようです。

現在もカラオケに一人でいっては、「椎名林檎や中島みゆきを3時間熱唱する」ほど好きなきっかけは子供時代にあったんですね。

吉田羊の中学時代の画像②いじめられっ子だった吉田羊

吉田羊の中学時代画像

現在の吉田羊さんはキリっとしてできる女性の代表のように見えますが、この頃はどちらかと言うと地味めな、おとなしそうな印象を受けます。

吉田羊の子供時代画像

兄二人、姉二人の5人兄弟の末っ子でありながら、一人遊びが好きな吉田羊さんは、大人しく引っ込み思案な性格から、「内弁慶ないじめられっ子」だったと徹子の部屋出演時に語っています。

卒業アルバムには「もう少し明るくなればいいのに」とクラスの男子生徒に書かれてしまった理由の一つとして、「ぬいぐるみを学校に持ち込んで話しかけていた」ことも原因だったのかもしれません。

吉田羊がキレイすぎる

今の男勝りなキャラクターの吉田羊さんからは想像もできない子供時代ですが、それだけに、「自分ではない誰か」になるために芝居の道へと進んだのでしょう。

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吉田羊の出身高校は「久留米信愛女学院高校」

久留米信愛女学院

久留米信愛女学院高校は、キリスト教系のお嬢様学校です。(現在は共学)

吉田羊さんは歌手の松田聖子さんの熱烈なファンを自負していますが、この学校は吉田羊さんの8歳年上にあたる松田聖子さんの出身校でもあります。

吉田羊さんがこの高校への進学を選んだのは、キリスト教牧師の父と、松田聖子さんの影響が大きかったのでしょう。

吉田羊の高校時代の画像①応援団長でイメチェン

吉田羊の高校時代画像

吉田羊さんは中学時代までの根暗なイメージを打ち破るかのように、高校3年生の時に「体育祭の応援団長に選ばれる」という大きな転機を迎えました。

学ランを着た吉田羊さんは後輩の憧れの的になり、「吉田先輩!」と呼ばれ振り向くと、「キャー!」と叫ばれるほどの人気だったそうです。

ちなみに久留米信愛女学院高校は当時女子校。吉田羊さんは宝塚の男役スターのような存在だったのでしょう。

それがエスカレートして、「吉田羊さんの自転車のサドルに頬ずりする輩:もいたそうで、かなり熱狂的なファンを生み出すほど魅力的だったんですね。

吉田羊の高校時代の画像②高校にはファンクラブがあった

吉田羊の高校時代画像

長かった髪をバッサリ切り落とし、ショートヘアに変身。顔立ちも整っていて、これは人気になるのも頷けます。

当時から鼻が高かったことは友人たちにもいじられていたようで、つけられたあだ名が「ひかり」。

新幹線ひかり

新幹線のひかりです。鼻の高さは整形ではなかった

よく吉田羊さんの鼻は「整形?」と言われますが、高い鼻は生まれつきであったことがこのエピソードからもわかりますね。

大胆なイメージチェンジは周囲の大好評を得て、当時は後輩たちによるファンクラブまでできたそうです。また、「赤の他人に初めて評価された初めての体験だった」と語っています。

この経験がきっかけとなり、吉田羊さんは「人前に立つこと」へのあこがれと表現者としての道に、人生の生きがいを見出したのですね。

吉田羊の出身大学は「桜美林大学」

桜美林大学校舎画像

吉田羊さんは公式には出身大学を明らかにしていませんでしたが、過去の自身のブログ「放牧日記」でこうコメントしていました。

「どきどきキャンプのジャックバウアーじゃない方は大学の後輩ですねん。佐藤くん。応援よろしく。」

どきどきキャンプの佐藤満春さんが2008年8月に出演した番組で、「出身大学は桜美林大学文学部中国語中国文学科」と言っていたことから、吉田羊さんの出身大学が桜美林大学であると特定に至りました。

それ以外にも、「多摩南部のカトリック系大学」「栃木県を代表する漫才コンビ(U字工事)の母校」と数々のヒントを出していたので、別に隠していたわけではなかったのでしょうね。

吉田羊は大学で舞台女優デビューしていた

吉田羊の大学時代画像

吉田羊さんは高校卒業後、女優になるために、高速バスで久留米から上京したことあります。

また、大学に通う前は、金沢の大学に通っていたお姉さんを頼りに、金沢の喫茶店でアルバイトをして生活していた時期があったそうで、おそらく女優になることを一旦保留し、桜美林大学に通ったという経緯があると推測されます。

吉田洋さんは大学3年の就活で、「会社員は向いていないと思った」という感情に従い、幼い頃からの夢であった役者の道を選択。

吉田羊の舞台女優時代

当時の情報誌「ぴあ」に掲載されていた舞台女優募集の広告に応募し、小劇場の舞台役者として大学生の頃から女優デビューを果たします。

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吉田羊の若い頃 デビュー前は地味だけど可愛い

吉田羊

アラフォーでブレイクした遅咲きの女優・吉田羊さん。

舞台女優としての下積み期間はかなり長く、30代で前事務所の「ORANKU(おらんく)」に所属するまでは、フリーの女優として、また2001年から2007年までは「劇団スウィカ」の主演女優として舞台中心に活動していました。

吉田羊のデビュー前画像①カッコイイ、より可愛い

吉田羊の舞台女優時代画像

舞台女優として活動していた当時の吉田羊さんの写真です。

相変わらず鼻が高く顔のパーツはとても整っていますが、大学時代は長かった髪を再び短くして、少女のような可愛らしさに戻っています。

吉田羊さんは自分の「鼻」に対してコンプレックスがあると過去のテレビ番組で語っていましたが、「下からのあおり」に対してはなるべく撮らないようにカメラマンにお願いしていたそうです。

吉田羊のデビュー前画像②相変わらず横顔が美しい

吉田羊の舞台女優時代画像

20代後半ころでしょうか、顔立ちの幼さがなくなり、凛々しい現在の顔立ちに近づいているように見えます。ただ、現在に比べて化粧っ気はかなり薄かったんですね。

現在大のお酒好きとして知られる吉田羊さんは、舞台女優時代にお酒を覚えたそうです。

私も劇団でお酒を学んだと言っても過言ではないですね。舞台を初めた時に「これから女優を続けるなら、お酒の一つも飲めた方がいい」と言われました。

実際、小劇団の世界ではお酒の席で仕事が入ることも多い。「来月、空いてる?これ、出てみない?」とキャスティングが決まっていくんです。

吉田羊のデビュー前画像③そして芸能界デビューへ

吉田羊の舞台女優時代

舞台女優という仕事に生きがいを感じていながらも、生活はかなり苦しかったそうで、当時は舞台女優をしながら、葬儀屋や引っ越し屋、果てはパーティーコンパニオンとやれるものは何でもやった吉田羊さん。

33歳のときに芸能事務所「ORANKU」の社長からスカウトされ、ドラマ「愛の迷宮」でデビュー。

そして吉田洋さんがブレイクスルーしたきっかけとなった、木村拓哉さん主演のドラマ「HERO」への出演が40歳と、女優としてはかなり遅咲きでしたが、これまで積み重ねてきた演技の技術の高さが評価され、現在に至ります。

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