新型コロナウィルスの影響を受け、2020東京のオリンピックが中止になるのでは、という心配の声が上がっています。
過去の歴史を遡ると、これまでにオリンピックは5度中止、あるいは延期になった過去があります。最も大きな理由は戦争です。
そして、日本で開催されるオリンピックは実は、これで3回目の中止となる可能性があることは、意外と知られていないんじゃないでしょうか?
その歴史的背景と、どんな国が延期中止になったのかを詳しくまとめました。
過去にオリンピック中止延期になった国まとめ
人類の歴史上、オリンピックが延期中止になった過去の国は以下の国々です。
[box02 title=”オリンピック延期中止の国まとめ”]
- 【中止】1916年 夏季 ベルリンオリンピック(第6回大会)
- 【中止】1940年 夏季 東京オリンピック(第12回大会)
- 【中止】1940年 冬季 札幌オリンピック(第5回)
- 【延期】1944年 夏季 ロンドンオリンピック(第13回大会)
- 【中止】1944年 冬季 コルチナ・ダンペッツオオリンピック(番号なし)
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結論から言うと、過去のオリンピックの中止や延期の理由は「戦争中でオリンピックやってる場合じゃない」という緊迫した世界情勢が発端となっています。
そして驚くべきことに、日本は既に過去2回も中止を経験しているというところ。
ご年配の方にはもしかしたら、当時の記憶が残っている場合もあるかもしれません。
それぞれの理由と歴史的背景について詳細をみていきましょう。
【中止】1916年 ベルリンオリンピック(第6回大会)
第一号の幻となったオリンピックは、ドイツのベルリンで開催予定だった「夏季ベルリンオリンピック」です。
2019年のNHK大河ドラマ「いだてん」で初めて知った、という方は多いのではないでしょうか?ベルリンオリンピックは1916年開催の予定でしたが、
第一次世界大戦(1914年7月28日 – 1918年11月11日)の影響で中止
となっています。
この頃の正式名称は「正式名称は第6回オリンピック競技会」でした。
イギリスとドイツの関係が不安定になっていく中、ICOのクーベルタン会長は、スポーツを通じて国家間の不穏な空気を緩和しようと1912年にベルリンでの開催が決定していました。
戦争はじきに終わるはず…、と見込みベルリンオリンピックはギリギリまで実行を予定されていたようですが、結局戦争終結は1918年。オリンピックは中止を余儀なくされました。
1936年 改めてベルリンオリンピックは開催された
ちなみにベルリンオリンピックは、その20年後の1936年8月9日に晴れてベルリンの舞台で開催されることとなりました。
このとき日本ももちろん参加しており、マラソンでは日本が1位と3位を獲得。
しかし、それは日本人によってではなく、当時植民地化に置いていた朝鮮人の世界記録保持者・孫基禎(ソンキジョン)選手が1位に、3位に南昇竜(ナムスンリョン)選手がダブル受賞を果たしています。
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【中止】1940年 東京オリンピック(第12回大会)
こちらもベルリンオリンピックと同じく、大河ドラマ「いだてん」でも話題になった幻のオリンピック、それが夏季東京オリンピックです。
東京オリンピックは、
日中戦争(1937年7月7日 – 1945年9月9日)の激化により中止
になったと一般には言われています。しかし、もう一つの理由があります。
東京オリンピックは、欧米以外の有色人種の国で開催されることとなった史上初のアジアでの開催となるはずでした。
1932年(昭和7年)から地道に承知のロビー活動を続けていた日本にとっては悲願でもあり、ライバル都市のローマ、ヘルシンキと争いました。
“柔道の神様”嘉納治五郎の感動的なスピーチも手伝い、ようやく勝ち取ったオリンピック開催国でしたが、この開催には構想の段階でそもそも無理があったとも言われています。
万博・夏季五輪・冬季五輪を全部やろうとした日本
東京オリンピックの中止は、日中戦争の泥沼化を理由とすることは間違いありません。
でも、それ以外にもこのとき日本は、
- アジア初の世界万博
- アジア初の夏季オリンピック
- アジア初の冬季オリンピック
この3つの「初めて」を一年のうちに一気にやってしまおう、というそもそも実現不可能な高層を描き、準備を進めていたという事実があります。
もちろん、1900年のフランスのパリ、1904年のアメリカのセントルイスと前例がなかったわけではありませんが、どちらもグダグダだったと言われています。
当然日本でも、
- 五輪ポスターにスペルミス
- 五輪のロゴが勝手に商標登録されていた
- 公募で決定したポスターに「神武天皇」の絵が描かれていた
などなど、予想通りグダグダだったようです。(もちろん当人たちは必至だったと思います)
結局、日中戦争の激化と準備不足から、1938年のIOCカイロ総会でも難色を示され、最終的に日本政府は自ら開催権を返上してしまう結果に。
パリやセントルイスとの最も大きな違いは、「戦争状態になかったこと」が大きな決め手だったことは間違いなさそうです。
ちなみに東京オリンピックはその後1964年に再び東京で開催され、「日本万博博覧会」通称万博も、1970年に大阪で無事開催されました。
【中止】1940年 札幌オリンピック(冬季第5回)
1940年、札幌で予定されていた冬季オリンピックもまた、上記の夏季オリンピックと同様、中止となっています。
理由は同じく、
- 日中戦争
- 万博とセット開催
この2つの理由によって、開催は幻となっています。
しかしその32年後の1972年2月、札幌オリンピックは無事に開催されました。
【延期】1944年 ロンドンオリンピック(第13回大会)
ロンドンオリンピックは過去に4度開催されていますが、1944年の第13回夏季ロンドンオリンピックは、
第二次世界大戦(1939年〜1945年)の影響で中止
となった過去があります。しかし、
- 1944年ロンドンオリンピック ←【中止】
- 1948年ロンドンオリンピック ←【繰越開催】
前例のない「4年後に繰越」となり、戦争終結の3年後の1948年に無事開催されています。
五輪は中止しても関連行事は強行した理由
人類史上最悪の被害を出した戦争末期にもかかわらず、IOCはオリンピックの記念する多くの式典や行事をIOC本部であるスイスのローザンヌで開催しています。
「永世中立」を貫くスイスは、巧みな外構を駆使して第二次世界大戦でも隣国・ドイツに侵略されることなく、戦渦を免れたという背景もあったでしょう。
だからこそIOCは世界平和の象徴としてのオリンピックを諦めなかった。強い信念を感じさせるエピソードですね。
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【中止】1944年 冬季コルチナ・ダンペッツオオリンピック
聞き慣れない名前のこの冬季オリンピックは、イタリアのヴェネト州コルティーナ・ダンペッツォで開催が予定されていたオリンピックです。
北イタリアの「黄金の盆地」として名高いこの地は、現在は風光明媚な高級リゾートとして世界中から多くの観光客が訪れる場所でもあります。
こちらもイギリスと同様、オリンピックの開催は第二次世界大戦の影響で中止。
特にイタリアは敗戦国となり、経済的にも困窮を極めましたが、その後1956年に無事「第7回 冬季オリンピック」の開催地として返り咲いています。
このオリンピックでは、日本のアルペンスキー選手、猪谷千春さんが男子回転の種目において、アジアで初の冬季オリンピックメダルを獲得する快挙を成し遂げています。